20211126

新緑の友人を連れ漆稽古に向かう朝。

大山をくだり街に入ると霧で視界が白くなる。秋のおしまいから冬にかけて、朝霧で盆地の底に牛乳を溜めたみたいになる現象を、この街の人たちは「底霧」と呼ぶ。乳色の道を進んで待ち合わせ場所に近づくと、建物から見つけたい人がそっと出てきた。

さて、「漆稽古」というのは日田の漆器職人、相澤さんによる金継ぎ教室である。小さな神社のすぐ隣に工房があり、そこに通うようになったのはこの春から。金継ぎ教室というお名前だけれど、いろいろ好きなことを自由にやらせてくださる。漆蒔絵を描いてもいいし、土粉粘土で作ったものを漆で加工してもいい。通う頻度も、自分のペースで提案していい。「思いついたら、なんでも持ってきてください」と先生はにっこり笑う。そんな夢のような工房にあたらしく友人をご案内したつい最近。

漆は、水、木や土の粉、顔料、糊、様々なものと混ぜて使う。使い方次第で、接着剤に、粘土に、絵の具に、ときに研磨剤にも仕上げの保護剤にもなる。歴史は古く、縄文時代のやじりまで遡る。工芸としてのはじまりは中国や韓国からの輸入がきっかけで、その後日本で独自に栄えたので漆器のことはJapanと呼ぶんだよと先生が教えてくださった。おとなりの席の人は、見るもの触るもの全部が初めてで、わくわくしているのがよく伝わってくる。なんだかいつにも増して学校みたいだぞ!とわたしたちは笑った。

お稽古のあと、せっかくなのでお隣の神社にお参り。おおきな楠に挨拶をし、境内の前でおじぎをする。境内のそばには土俵があって、うすく積もった銀杏の葉と友人の黄色の靴の色が共鳴し、みごとに秋を謳歌していた

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この秋から次の春にかけ、期限付きの劇団と近しい生活を送っている。予想外にもわたしはこれまで体験したことがなかった形の縁と過ごすこととなった。それは、独特の距離感と、夢見るやわからな観察眼と、あたらしい新緑の匂いがする友情でできている。