20211202

ホームページをやんわり公開してから一週間経過。

サイトを作ろうと決めた頃から「更新の要は日記だ」とはずっと考えていて、はじめの投稿は自己紹介をする、なぜ「ねじれの日」というタイトルにしたのかとか、日記の題「みはらし」はどこから来たのかとか、そういうことを分かりやすく説明するんだと思っていたら、全然そんなことなかった。今日説明するかといえば、まだしない。ずっとしないかもしれない。

当日記は、風通しのよいSNSとは違って、見ようと思う人がアクションを起こさねば辿り着かない。読んでいる人がいるのかどうかもよく分からない状態で、1日につきひとつずつこんこんと文章を作り絵を描き更新しているこの状態は、ちょうど2年前、誰ひとりいないInstagramのアカウント上に絵と文章を投稿していた頃とよく似ている。こんなのが一体何になるのかと自嘲の気持ちがまず浮かんで、その後指を動かしていると、内面と対峙する時間特有の静けさが降りてくる。これは、日々必ず実績の残る成長の明るさよりも、潮の満ち引きのような果てしないゆくあてのなさを思わせる。

「なんだかこれはほとんど全裸みたいだな」今年5月作品展を開催した際、初日最後のお客様をお送りしたあと、ふと浮かんだ印象。公開したのは日課の絵と、それだけでなくアイデアを書き溜めたラフスケッチもあった。習慣というのは強いもので、展示のための準備をしていないのにわたくしの手元には作品がどっさりあった。わたしの日常と視界を解き放ち、見ていただくこと、受け取っていただくこと、追加で説明すること。自己開示と交流の手応えは、両腕いっぱいの幸福と危うさだった。

よろこんでうれしくて
たのしくておもしろいのでつくる
みてほしいなとおもう

おろし金すりすり
わたくしの心身