お腹の中に海がいて
内省的な日記が続く、年末の力技っぽくもある。昨年の暮れ、その年・次なる年それぞれ漢字一文字ずつ決めたことがあった。2020年を「開」2021年は「産」としたわたくし。そのことも、じゅうぶん伏線のように作用していたと感じている。
さて、「産」とはちょっと生々しい字である。産み落とすこと、形にすること、起こること、可視化など。他人につたわる形となることが前提なので、個人的なことでありながら切り口が社会性にすごく近いなあと年末の今になって思う。
出すことは、とても動的な仕草だ。欲求がまず腹の中に起こること。そして発想の形が頭に浮かぶこと。ほんとうに形になるか指が可視化への道を知っていること。どの手法が相応しいか選択できること。誰が見るのか、どんなふうに受け取ってほしいのか、出口を整えること。
今年は「産む」ことにたくさん立ち会った。自分の中のピントを綿密にしたり、ぼんやりしたり。お腹の底で考えたり、目線よりすこし上にさらしたり。自分の中には思考の層があって、発想にいろんな層を体験してもらってから、はっとするものを形にしていく。
上の方は植物の枝葉のようで、社会に通じる
下の方は、すなめりのいる海。欲求とか原始的なこと
図案