20240129

「今後音楽でどうなりたいとかあるん」

ある。と直ちにこたえることが叶ったのは、吉塚のネパール料理屋さんだった。聞いたことのないメニュー、辛みをすこし避けた形で口にするスパイシー料理の数々、グラスにはちょっとなみなみすぎる赤ワインが継がれている。

音楽でやりたいことはずっとあって、わたしは「これがわたしです」とピュアな気持ちで紹介できる音楽が欲しいのだった。作っても、恥ずかしくてどこにも出すことができず隠すような気持ちになったり、砂の上ざらざら書いて消すみたいな雨が降ったらほっとして

音楽が演奏したら残らずすぐ消えることに
救われるような歯痒さがあるような難しさがある

クラシック音楽は、怖くなくて、上手にできなくても自分の仕事がわかって気持ちいい。
ジャズをやるときは、テーマをやるときだけ怖くなくて、あとはわりといつも怖くて、お邪魔しますと言いながら存在し続け、水中で目をみひらくような滲んだ不透明な視界のなかアドリブを演奏し、ただ修行の気持ちで全裸で横になって、理解ある先輩と一緒になった時だけ、ほんの数えるくらい瞬間的にしめたぞと思う。
まったくの即興は、たのしくてたまらなくて全く怖くなくて、しかしこれでいいのか、聴いているひとがたのしいのかは全くわからない。

これらを踏まえてみるとそんなに支離滅裂でもない気がしてくる。
音をやることへの姿勢にねじれがあるんだ。

高知に転勤して、宿にいた十日間のなかでみかけたサーフィンと黒潮の不思議さ
つつー、ぽちょんと波に落ち続ける、群れなのに単体ずつのサーフィンを
わたくしは五線のように見ていたし、音楽にしたかった
ただ、視覚が音楽になること
自分にやれそうなことをやらなくてはと思いながら
ネパールの料理に舌をしびれさせて
改札を「死みたいだな」と呟いてくぐる夜のこと

あなたのしてタイトルで、
わたしのなかのかわいさとか不気味さとか
うつくしい朝の光や川のことや海で見たもの
そんなの図鑑みたいに
内臓標本を広げてみるような
一貫性なくつくってみたらいいのではと思って
騒がしいけど
明日も早いしもう寝よう