20240224

先走ったなとか失敗したなと思うことが続いてちょっと落ち込んだ週末。

わたしは自分を信じることと同じくらいのサイズで自分を疑うことを真っ当にやりきらなくてはいかんなと改めて水をかぶる気持ちになった。ひとかどの謙虚さを

失敗してもいいし、間違えたり落ち込んだりしつつ、おおむね健康体で中・長距離ペースをつかみたい。楽しいことを発見し、いけそうなら周りに溶かしながらやりくりするのがいいんだろうな。と、書いてれば平然とした感じにまとまるけれど、人間のこころは結構お豆腐とか味噌と似てて、ぐねぐねぬかるんだりカビが生えたりもするよ。それもまた普遍。

お茶を飲む


カレンダーの休日と自分の休日がマッチする、人生上かなり稀な期間。これがおよそあとふた月程度続く。三連休一日目は棒状になって休んだので二日目の今日は掃除したりゆる自炊したり楽器を練習したりすることに成功。おそい朝飯として、のこりものの豚汁にお餅をひとつおとし、目玉焼きを乗せて食べた。楽器を出してオイルをさし、ホルストの節をとってやや立体的にすると絵や日記が湧いた。

「音楽はなぜ(社会に)必要なのですか?」との問いをもらった正月を、このごろよく思い出す。わたくしの脳にうかぶのはまず薬物のような作用だ。感受性に瑞々しさをあたえ、ときに攻撃性を激しくもたらす、音楽とその周りで起こる変を、この問いを思い浮かべるたびに連想する。
ありがちな、「音楽で幸せに」という語り口は、「結婚してしあわせに」とか「宗教を盲信してしあわせに」と言っているのと同じくらいきみのわるさ・嘘寒さが連動する。もちろんしあわせでいいけれど、結構危ないなと感じていて、必ずしもみんなの終点として固定すべきではないと思うのだ。
劇薬のように全てをなぎ倒し、恐るべき勢いで集団を整え叱咤・鼓舞するような要素があり、また誰の個人にもそっと寄り添って手当てするようなささやかさもある、不思議な作用を持つ音楽。この、見事におそろしいものとの付き合い方の提案を、ただやれる人が淡々と自然体な範囲でやるのがいいと思う。

午後はミャンマーの音楽イベントへとお出かけ
心身のあたたかさが、セーターを通してわかる昼前