20240816
九州からは、仕事観や現場観のような視点を貰って戻ってきたような気がする。物の見方が一点3Dに増えた感覚。
ひとつの問題や課題に向き合おうとするとき、仕事柄もあって、守りに入らず打開策を生んでいくような動きをとることが多い。わたしは企画を自分で書くし、お題という白紙の紙がもらえると、素直にわくわくする。たとえばと書き始め、周りの環境や偶然性を呼んでためしに耕させてみて楽しいほうに持っていきたいなといつも思う。楽しさとか要求・欲望は人によって異なるので、「これが起こったら楽しいのでは」と雑談的にいちいち口にし、紙の上に落としてみてもらうことで、周りの人がどう感じるか、そこに齟齬があるか見計らうことができる。伝わった感覚があると、自分の輪郭がぶよぶよ曖昧になって拡張されたようなうれしい感覚もやってくる。
さて、子どもの頃から何かしらの演奏集団に居るのが常だった。集団のなかでわたしは浮いていて、固定グループにほぼ留まらなかった。車座のミーティングで石を投げ、保身のことが嫌だった。大学のころ、「クラシック公演を聞きに来る若く新しい世代が育っていない」と憂いている先生の話を聞き、強い違和感を持ったことがある。クラシック音楽と肌が合わない人もいると思うが、それは聞いてみた結果である。そもそも素晴らしいものを限られた人しか享受できておらず、新しく出会いおもしろいと感じ続けてみる機会そのものが少なすぎるのかもしれず、この構造をすごく変だと思った。わたしたちは演奏だけでなくこの構造を解決するだけの知恵を生み出せるのではないか。周りの音楽仲間たちに発してみるも、わたしと共鳴する人はいなかった。みんな、ひたすら舞台の上で演奏をすることの専門家だった。客席の輪郭を外して拡張することは思い浮かばないし、必要だともあまり感じない。やっぱりわたしは浮いていた。それでも無数に浮かぶアイデアは消せないし、気になってしょうがない違和感も無かったことにできない。
先日、野村さんから「10年後はどうしていますか」と問われたときに、わからないですと返事をした。野村さんは「では10年前はどうしていましたか」と続けた。10年前というと学生で、件の違和感と出会ったころだ。いまのところ、仕事で楽しい企画を書くことが、当時への返信だと感じる。4年前、野村さんに会いにきたのもこの感覚と近いところに引力がある。また、人前での演奏もずっと続けていて、自分にとって必然だとも思う。
わたしは、楽しい企画を書く裏方をやり、必要があれば裏方に留まらず役割を曖昧にして表舞台人のような動きもし、ときには裏方を完全に放棄し人前に立つ演奏家もやる。居場所は問わず10年後もこの動きをしているんじゃないかと、野村さんの補助線に乗って漂着することとなった。
浮いていることについて、全然分かり合えない苦しさもありながら大切なことだとも思う。そもそも群れという母体があることが、違和感とそれに付随する様々な思いつき・楽しい欲求を巻き起こしているとも感じるからだ。いまもわたしは群れの中にいて、ものすごく浮いている。そのことが強烈に苦しく、無数に浮かぶ楽しい発想を享受するための呼び水になっているとも思う。