20251208

20251208

先月風邪のためスキップした健康診断が訪れていた今日

月曜だからか年末だからか混んでいる待合室にて野村さんの路上演奏日記をどんどん読む
イギリス留学から戻る電車の隣の人との雑談にて500年前のヴェネツィアの街のマーケットで愚痴やぼやきが発展して辿り着いた演劇スタイルがあるというエピソードを聴き、街のフェーズに思いを馳せ「思春期の街」で路上演奏をやりたいと思った野村さんの、95-98の東京のまちの記録。
終電間際の、あるときは夕方やお昼の、雑踏の中で発生するリアルなやりとりを眺めながらページをめくる。テンペストの第三楽章とUFOとジェンガとサザエさんがたくさんでてくる。来る日くる日の最後には稼いだお金の金額。つながったり失われたりする複数の縁はあまりに生々しく心に刺さる。
こころに刺さりながら思い出すのは川部のことだった。わたしはまた川部をやりたくなっている。

・・・

午後は、高岡大佑さんのテューバソロを聴きに十月へ。初めての高岡さんと、十月。店内には思いがけず素敵な先輩・篤子さんがいてうれしい再会。ライブを勧めてくれた太陽の眼のお二人もいらっしゃる。絵の展示もあり、本もたくさんあり、心地よいところ。うきはのミノウブックスや日田のリベルテを思い出しもしていた。しゅわしゅわリンゴとクッキーを注文。

高岡さんの即興は本当にすばらしく、たのしく、立体的で、自由自在で、新鮮で、なつかしく、あそびの心にあふれていた。わたしは篤子さんの勧めでかぶりつきのお席で聴いたため、天井やこちらに向いたベルから放たれる振動や打楽器的なアプローチ、演者の様子を一身に享受することがかなった。
ご自身の演奏を鼻歌と称し、幼い頃の原体験や感じたことをお話になり、ここ、というタイミングにて演奏に突入する。こんなにも自由ですばらしい楽器、子どもが聴いたら自分もやりたいとみな思うと思った。

ライブ後の交流もたのしく、

***

公私共にどことなく息苦しく感じていたこのごろ。でも、高岡さんの音に触れ、ぱり、と音をたてて外れた感じがした。あたらしい星に来たみたい。

高岡さんはあたらしい惑星みたいだった