20260524

20260524

5月の自由帳

たくさんのステージ鑑賞、作品制作、生活のみなおし、友人たちとの交流など、仕事もしてたけれど休日をかなり充実させていた月で、その終盤の日曜にじぶんの即興の会があった

前日は高松に人間椅子ライブにあしを運んでおり、精神的にちょっと明るい感じがしていて、即興の会のご案内とかもいつもよりできたと思う。
身体的には、オールスタンディングのライブ2時間半に往復8時間運転にはさまっていて膝がおわってしまった感じとかもあり、体は重い・重さがある、しかし精神はつやつやもちっとしている感じ。たきたてのお米の気持ちで、ライブのセットリストと同じこんぴを作成して流しうたいながら26時くらいに帰宅した

翌朝はおそめにして、コーヒーや朝食をとる。休憩しつつ、楽器や音のなるものをこんてなにつめていく。活動を続けるということはそれだけで筋肉がつくもので、新しく準備していたころのだるさのようなものは減っている。何度も使いまわせる案内表示に頼れるなとか、出発時間や準備とかいちいちゼロから考えなくていいなとか。複数回まとまった通しのちらしをつくったこともわたしをつかれなくさせている。「消耗する」と、友人に口に出してぐちれたことも結構大きいのかもしれない。ひきしお・みちしおのような、体のなかに何かがじゅうまんしていく感覚がある。

したくちゅうに、目に止まったのは弟のトロンボーンで、かつて全然音がならなかったけどあるときからすこしなるようになってたまにあそびで吹いている。なるといっても全然で、ちょっと間をとって考えると、なんの指となんのポジションがリンクしているかわかる、くらいのもの。今日これと一緒にいきましょうかとそういうことにした。

即興の会をしていくうえで、音楽家は支配してしまえることがずっとネックになっていて、でもファシリテーターなのである程度進行とか間をとりもつようなことをやる、この自分の道のとりかたに迷って悩んでいた。これは無意識な暴力性とかに近いと感じてかなりつらいことというか、積極性が持てずいるような感じがずっとあった。ひとが来てくれない、とかそういうことよりずっとしんどかった。
喋れてしまえないけれどちょっと自分の経験則で音がつくれるトロンボーンを持ち出したことはとてもひらめきになったようにおもう。いつもより音の筆先がふとい感じも、線の細いえんぴつ書きのような鳴り物と共存しやすいし、腕や体の前後のひらきかたで音をつくることも、身体表現をやりたいときの方向とちょっと似ていたし。
当日になってもこのひといたらおもしろいかも?と思った人に「あまりに急ですが」とか言いながら声をかけたりして、そんで来たりこなかったりしたんだけれど、結果充実の回となり嬉しくてありがたいことだった。自分で会をするようになってかぞえたら9回目。心身が開いたからか、会場のすぐ使える音響も結構しぜんに活用することができた。ご案内読んで来てくださった方、わたしがドアをあけておいでようと言ったらほろっと入っていらしたかたなどもいて、出入り自由さも結構あった

なんにせよ・おそれしらず

だいぶ気持ちが楽になった感じあり、
海に浮いたとき、アハ!とおもったこととよく似ている
これはお守りの感覚としてもっておきたい
ちゃんとした文章にはまだならない