久しぶりに友達と会って話した。
川を見ていたら、楽器を吹いていたいなと喋っていた。そのあと夏以降いろいろあいまいにぼかして言語化しなかったことが、間を置いてからつるつる出てきて、それで、個人的な日課をまたはじめたいなと思った。
いまの仕事場はかなり多忙だと思う。人より発達が遅く判らないことも多いわたくしが無事で居られるのは奇跡かもしれない。それに、何も描かなくても音を出さなくてもごはんが食べられる。でも、日課を描かなかったら、絵がこの世に残らない。音も何も出さなかったら、それで感じる発見も生の実感も、ない。自分と自身を含む間合いのことを考えたとき、この世にはいろいろ残したほうがいいなと思う。残したくないものも、きちんと「これだ」と感じておいた方がいい気がする。
毎日続ける絵と文章の日課をやったことがある。ちいさくつくり続ける、少しだけする、ここだと思った場所をつまんでおいて痕跡を残す。それらが遂げられる温度と距離感を知っている。感覚を手に落として、てのひらや指先で確かめることができる
水平の2022年からかけるのは、翌年への梯子
個人的でちいさな活動がわたしの輪郭をあたためる
派手でなくとも、地道な活動を、日々に置いていたいと思う。