やりたかった用事できたりできずいたり。
年越しに向かって、いろんなことがゆったり進んでいるのを感じながら過ごした1日。12月が近いので、洗濯物を干しながらKyrieをくちずさむ。たくさん読んだ4線譜、残念ながら通してそらでうたえるのはこれきり。
長旅に思いを馳せるのはわたくしの秋の歌。今年も例に漏れずそのようである。ここのところ瞼の裏にはいつも、路面電車だの対岸が近い海だのが浮かんだりもしている。年末には旧友たちが日田を訪ねてくれるとのことで、そんなことは今までなかったから報せをとてもうれしく思う。今年は思いの外自分の車で広島に帰った。引っ越したばかりのときはあんなに遠かった街が、すこしずつまた近くに来ているような気もする。
そういえば楽器の練習がおざなりになっていたなと思い出し、久しぶりに丁寧に音出しした。わたしの演奏する楽器はホルンだが、これは直径2センチ足らずの吹き口の中で唇を振動させることで音域を操作する作りである。数日を怠ると、すぐに音が思うように鳴らなくなってくる。確実な音質を作ろうとぬかるみをあるくような感触に、「ああ薄情だな」とつい思う。
「なに、不器用な音も愛おしいじゃないか。」周りにはときどきそう話すくせに、自分のこととなるとそんなふうにはとても思えず、やっぱり一番心地よく思い描いたまま鳴る場所をいつまでも探している。矛盾だ。そうともここはねじれの日。
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あるがまま舎さんという方が発行している隔月の紙媒体、寄稿の締め切りが目前。
音のこと、もうすこし噛み分けて、今と連動した言葉をつむぎ届けたい気持ち。
それが今回無事形になるかわからないけれど。