20211209

年末にライブを控え

そろそろ準備にとりかかれと頭の中でシグナルが鳴るメッセージの送り先はわたしが心から慕うミュージシャンのお二人。最近ご出演のステージをお訪ねできずいたこともあって、ご相談メールにふたりからいちはやくマークがついたりお返事がきたりするのを見たら考えるよりさきに涙おちた。たぶんほっとしたんだと思う。「明日夕方伺います」と返信した昨日の昼。

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表したい事柄

いや、もっと原始的な、きっと表現より手前側にある感覚「出したさ」のことを話したい。つくってみようとおもしろがる方へただ転がる、この衝動を肌に感じるようになったのは、絵や文章を日課にするようになってからだ。なんの打算もなく、口数がずっと減る。年齢性別あらゆるカテゴライズがヒーと耳鳴りの音を立て遠のき薄まる。出せと合図するプリミティブな欲求は排泄に近い

いろんな表現あるなか楽器の演奏は、体育とかアスリートのような一面がある。練習の際、呼吸や唇の周り、体幹を観察すること。イメージを明確に持ち、運指と音が適切に反応しているか、間違いのないよう追求すること。「頭の中のうたは」「実際に出ている音は」とチェックボックスに印をつけるような気持ちで、音が出なかったり外れたりすると不安で苦しくなる。「今の形はだめで、解決しなくては」とまず思う。これは、先に述べた排泄の衝動とは遠い気がする

体育要素も必要を感じながら、不安や苦しさからはじまる状態に「待った」をかけるこのごろ。まずは出したさ、原始的な衝動からはじまるのが、自分を解放することと圧倒的に近く、なんだかそのほうが健康な気がする。「あるべき姿になるようこなさなくては」と出す音は固く伸びがなく苦しい。「出したい」からはじまる音はとてもフリーダムでうれしくなる。楽器を演奏するときにアプローチが二手にわれはじめたのは、習慣的に絵や文章をつくる今の暮らしと関係しているのではないか。同じ器の手法の中でこんなに違うのがとても不思議だけれど、おいでと呼ばれているようにも

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これらの感触について、ミュージシャンとあれこれ談義していた今晩。
「欲求」という言葉にすると鋭すぎ意図しないイメージも想起してしまうことから、イルカの形をしているのだ、とか、スナメリのような白くて長い生き物かもしれないとか比喩を呼んで喋っていた。

さといもとお揚げの煮物
書きたい譜面
探したいお家

腕の中のスナメリ