20211208

手帳の引っ越し前奏曲

2021年の手帳をめくりながら、紙面の窓枠の中小さくも次々起こる事件にひとりにやにやしている朝。本日は水曜日で仕事は夜当番。この秋から次の春にかけての半年弱、わたしの水曜夜はかわいい劇団の稽古を見守る係である。通っていた久留米の水曜定例ジャズセッションがだいぶ遠くなってしまったが、朝は比較的のんびり過ごしてなかなかの餅時間。こんな年もあるのだなあ。

さて、手帳は日曜日が左側にないと発狂してしまうたちである。地図を読むのに抵抗がなく、音楽を覚える際も楽譜に起こしてから入れるわたくしは、あらゆることを図として視覚的に把握している気がする。土日休みでなく、むしろ公私ともにイベントの多い暮らしなので、土日が別れている方が曜日を思い出しやすいし、左日曜だと平日の中日である水曜日が中心にくる点も、なんともしっくりくる。しかしながら、土日で連結して予定を書く人が多いのか、ここ近年でこうした手帳がずいぶん減少してしまった。寂しく不便に思う。

そんなわけで、毎年手帳デザインの選択肢に限りのある年の暮れ。ここ数年はずっと同じ手帳を購入している。わたしは映画や観劇鑑賞の切符や、よかったフライヤーだの名刺だのを空いたところにぼんぼん貼っているので、新旧並べると同じ手帳とは思えないほど厚みに差がある。移行する際に今年一年を振り返る儀式、なんともいえぬでこぼこざらざらの味わいがありおもしろい。

新しい空っぽの手帳だって愉快だ。切りたての頭とか、引っ越ししたての部屋とか思わせる。完成品なのにすうすうしているのだ。春以降なんぞほとんどまっ白。昨年のいまごろも、次なる年の種を撒きながら「次は一体何をやっているのだろうね」と、わくわくしていた。今年の年末もまたひとあじ違う種まきを確かにしている。わくわくしているのはいわずもがな