20220127

ひかえめ・次の餅

描く絵の枚数、書く文章の数、出す音の数が減ってきた。公私ともに様子見に徹しているようである。ただ、依頼を受けるなど、必要がある場合は、アイデアがぽろろと出てくる。ご相談にあたってみたいひとのお顔もちらほら。

疫病の数値が日々大きくなり、のどかな我が家の近くのサイレンがひっきりなしにお知らせを流している。自宅で過ごすとちょっと笑ってしまうくらい何度も鳴るのがわかる。数のわりに、ここ2年間春感じていた突き刺すような危機感があまりなく、代わりにべったりとしたうんざりの気配が街中に漂っている気がする。

秋以降お世話をしている劇団との付き合いも長くなったこの頃。疫病との対峙、配慮もあるとして、もっと人間らしい営みを見ている。舞台に立たないわたくしは彼らと独特の距離があるが、たまにおなかを開いて話す場に立ち会うこともある。自分の存在が何か少しでもヒントになればと、慎重に言葉を選ぶ。

絵や音でない表現にそっとふれる冬。彼ら彼女らとのやりとりに、自分の大切なものをみつける。わたしたちは、常識と不自然をゆっくり噛んで選ぶことができるのだ。

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久しぶりに秋のワークショップの記録を開いた。
美しい音の群れと素朴で純な言葉の数々を前に、やっぱりただの記録ではもったいないから人にお見せするところまでつなげたいなと思案する。作成時と完成図を隔てないふたつの音源はそれぞれが一対の帯のようだ。これを切り貼りするのかと思うと恐ろしいようであるが、やっぱり自分の指で叶ったら誇らしいだろうなと思うのであった。