20220705

参加したかったけどダメでした部を作ろう

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九州一の大都会福岡市のベッドタウンに暮らして早3ヶ月。目白押しとはまさにこのこと、矢継ぎ早に重なる同時進行で反物のようになった我がスケジュールを呆然と眺め、いかんいかんと奮い立つ日々である。(途中ちゃんと体が不調にもなったりした。)(※回復した)

「参加したかったのにダメでした」

こんなに企画数が多いのに、やれ疫病騒ぎだのディスタンスだ定員だので、活動から漏れてしまう人が後を絶たないのも事実。

「だって、あんなに楽しみにしていたんです」
「追加で開催してください」
「キャンセル待ちはないんですか」

どうか、どうか、と受話器で漏れるのは落胆の色をした声。それもそのはず、昼休みに隣のグラウンドを見れば夥しい数の人間たちがひしめき合っている。多すぎるのだ。何もかもが適量から溢れているようわたくしの目にはうつる。

参加したかったけどダメだった人を集めて
参加したかったけどダメでした部を作ろう

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県立の高校に行きたかったけどダメでした
芸大に行きたかったけどダメでした
プロになりたかったけどダメでした

その他、ここに書けない事もたくさん。わたくしの中には、さまざまなジャンルに渡り数々のダメを保存してある。所謂“ダメだった側”がいかに面白可笑しく過ごしているか見てみたい、そんな天邪鬼さがそうさせている。この世って希望が叶わないものなのだ。不条理上等だ。惨めであろうと、ちくしょーと指を咥えて、消化不良の気持ちはひとまずお腹に据え置いておこう。

しかし、こうして日陰でミーミー騒いでいるのは気楽なものだと最近思う。案外叶ってしまうほうが大変なのかもしれないと、自分の心の路上で胡座かく。「叶わんかった」の中身は混沌としていて豊かで憎めない、愛嬌があって楽しい獣だ。これは周りの人たちとのご縁の中で培うことのできた後天的な感触である。叶わんかったという獣がわたくしに目玉を宿し、周りのおもしろい人たちと引き合わせてくれた。

「ホールの真ん中に太鼓を置いて叩いたらいいよね」
「みんなの念が集まるに違いない」
「おもしろいかもわからん」

さて、帰り際のちっちゃい頓知に花
ステージイベントに
ワークショップに
コンサート鑑賞に
そのほか、あらゆる魅力的な体験に

参加したかったけどダメでした部を作ろう。