20220708

こういうことがあると

まずは自分が受ける側についてイメージする。心臓の音、身体の熱くなったり冷たくなったりすること、感覚が強まったり弱まったりすること、終わることを受け入れることや、受け入れずにいること。身近なひとのこと、仕事のこと、自身の体を離れた普遍のこと。

その次に、自分が受けさせる側についてイメージをする。これも、心臓の音から始まって同じように辿る。決して遠い場所の遠い出来事なのではなく、同じ身体の上で起こり得るのだと。枠のなかにいることを、自分に言い聞かせる。

当ブログの「みはらし」というタイトルは、3年前ある美術展が社会問題になったことを綴った文章が元になっている。立場も考え方も違うひとを慮ることについて、ある種自分自身を否定するような一面を持つが、その痛みと対峙することが新しい道を紡ぐことにほかならないのではないかと書いた。ずいぶん久しぶりにちゃんと思い出した。

仕事が終わってひとりになって、最初は、「こんなときこそ、マドロミ荘が必要なのに」と大変心細く思った。明日は大好きな作曲家のワークショップのお世話だけど、もう仕事に行けないかもしれないとも思った。でも、この日記にしがみついて、様子を見ている。観察に徹する

思想よりも主義よりも大事なこと
まずわたしが何を感じられるか
心が、一体何と共鳴しているのか
まず、ひとりで