大人になってちょっと経ってから知った自分の傾向と、糠床よろしくかき混ぜられたがっている自分のルーツについて
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『群れ』に向かなさすぎる性質が故、音楽の大編成・オケや吹奏楽からめっきり離れてしまった。あんなに身近だったのにもう二度と大編成に乗らないだろうなとさえと思うが、いまもそれらと関わりの深い文化会館で働いているし、原体験を得たりおそれおおくも審美眼(耳?)を養ったのは確実に、ひとつひとつの群れ、集団のなかで過ごした時間である。
わたしの出身地は岡山市の西の端にある地方で、母校の中学は吹奏楽部が盛んな学校だった。音楽好きかつ目立ちたがりのわたしは、小学校のころから素敵なお兄さんお姉さんに心をときめかせ、絶対にこの部活にはいるんだと心に決めていた。吹奏楽部の顧問の先生は音楽科であることが多いが、わたしたちの先生の専門は社会科。大変熱意のある方で、今になって思えば、ふつうの公立の学校ながら、豊かな体験をたくさんさせてもらった。わたしたちが取り組む作品の中にはオーケストラを吹奏楽にアレンジしたものもあったが、「オケの原曲をたくさん聴きなさい」とよく仰っていた。「とにかくプロを聴け」「お前たちがジュースを10回我慢したらCDが一枚買える」先生のよく通る声が、今でも耳の中でしそうだ。2005年、サイモン・ラトルがベルリンフィルに就任してまもないころ発売されたドビュッシーのCDが、わたしの初めて自分で買ったCDだった。ソ連の作曲家ショスタコーヴィチを題材にした年には、わたしたちに歴史資料集と地図帳を手に図書館に集まるよう伝え、みんなでロシア革命のドキュメンタリーを観て歴史を勉強したこともあった。限られた部費でのやりくりだったろうに、少なくない数のホール練習や専門家のレッスンも組んでいただいた。ホール独特の舞台袖やエントランスの匂い、自分の身体からほど遠い大きな空間のなかに音が泳ぎ溶けていく様子、ほかの人の音と自分の音が共鳴しひとつの楽器のような響きに変容するとき・そしてしないときの違いを知り自分の感覚だけをたよりに操縦すること。我が身に起こったあのひとつひとつが、価値観・判断基準・野生の勘のようなものをたくさん作っていたのだと思う。
・・・というようなことを、ふとバルトークの「5つのハンガリーのスケッチ」を聴いていたらたくさん思い出した。これは元々オーケストラのための楽曲だが、当時先輩や同級生が小編成のコンテストで取り組んだ作品だった。50人を軽く超える人数いる部活で、レギュラーはたったの8人、楽器も実力も的外れな自分は選外である。冬休みに音楽室に響き止めの毛布を敷き特訓をする選抜メンバーが心からうらやましかったことを覚えているが、今はそれよりも、なんと編曲をご自分で手がけた先生のセンスと努力に驚くばかり。コンテストのタイム制限、楽器の種類だってかなり限られるし、きっと容易でなかったはずだ。しかし、これは木管八重奏に合うに違いないと見抜き、行動に移し、実現させ、そればかりか、まだ楽器を持って3年未満の子どもたちに、言語化のむずかしい音の世界の案内人もなさる。もちろん、中学校の社会の先生としての仕事も並行されながらだ。信じられない。先生から、こんこんと湧き続ける高温度の泉のようなたくましいパワフルさを感じる。
巨大すぎる先生、今なら対話ができるだろうか。
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自分のルーツになりそうな体験がものすごくまだら模様で、何かしら形に起こしたくて言語化する。なげっぱなしの文章ばかり書いている最近。文章のつたなさよりも、もどかしく未消化だったものがすこしずつ形になりゆく、さむざむとした大きな快さへ