20230319

ushikubigawa-wo-aruku

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ひどい気分で目が覚めて、もう自分は駄目かもしれないと思いながら布団から出てきた朝。外にでたら、意外と大丈夫だった。

7〜8月、「インスタグラム」と「音楽」を題材に組むお題があって、それで何か楽しいことができないかなともくもく考え中。夏休みの絵の課題の音版のような内容が案として浮かんでいる。考え事には散歩が相性よし。春日には川がないと聞いていたが、そんなことはない。牛頸川(うしくびがわ)という二級河川がある。住宅地を縫うようにヌーッと流れるちいさな川だ。以下Wikipediaより

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牛頸という名の由来は大野城市内の地名からである。この地名は、貝原益軒編纂の『筑前国続風土記』によれば、平野神社(当河川の西岸に存在)付近(現在の牛頸地区)から見える西の山の形に由来するとされるが、縄文時代の地理状況に由来するとする説(当時付近には海岸線が存在した、ゆえに『入江』を表すアイヌ語の『ウシ』からというもの)、6世紀頃から8世紀頃にかけてのこの地の渡来人村の名に由来するという説(現在の朝鮮半島にあたる地域からの渡来人が故郷の関連名(牛頭)を村の名としてこれが転訛したというもの)、現在の牛頸とされている地区のどこかにかつて牛の首を切る場所(いわゆる屠殺を行う場)があったことに因むとする説もある。

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読んでいると由来のゆらぎがすごくて「一体何が本当なんだ」とおもうが、この土地について「外来のものが混ざる」ということを軸に成り立っているのではないかという仮説との共鳴は、しずかに感ずるところ。仕事が終わったらもう夏至の方が近いんでずいぶん明るい。天田という土地を起点にして、牛頸川を歩くことにする。やはり思いつきは川に相談するのが一番である。

何が音楽の題材になるだろうと思って進める散歩。周りとすこしずつチューニングしていくような感覚で、気になったものをいろいろつまんでいく。目に見えないけど、たしかにある、ということがある。目に見えないあるものを、「ここにあるよ」とお伝えしたり、発見を一緒によろこんだりできたらたのしかろうなと思いながら歩く。

閑話休題

今朝の不安な気持ちとその反動の表現欲求は、昨晩の市民楽団の見学と入団体験から成り立っているような気がする。3時間ほどの合奏に入らせていただいて、いろんなことを感じたりわかったりしていた。ねじれの日をめくるたび日記をつけることにした春。自然に勝手に発生する表現欲求、叶うかわからないけれど、ここにあるのはたしかなので、なかったことにしたくなく、こうして形にしたり、人に相談したりもする。