futari-de-iru
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雨がよく降る春で花がつぎつぎに咲く
咲き進んだら葉が生えるどれもこれも
今日は、カバンの中でカレーが爆発してしまって昼からの労働がしょんぼりモードで始まった。仕事に入れば、しょんぼりしててもなんかしらをする。えら
さいきんいろんなことに心を開いていて、今日はなんと同居人にチャイを振る舞った。もうすぐ出ていく子で、わたしは最後まで警戒していたが、やっぱりチャイをあげてうれしかったな。そのあとかばんのなかでカレーこぼすことになるけど。春から我が家は生まれ変わったみたいに国際色豊かすぎハウスになる。憂鬱さと警戒心がほとんどで疲弊、でもやっぱり嬉しさがあって、わたしはこのすこしの嬉しいために生きている。
心を開いた先にいろいろ都合が発生しているんで、ここに置いておこう。先日、街のオケに見学に行ってその足で入団したんだ。最後に乗って実に五年経つ、オケに乗るのは久しぶりだ。合奏とは。合奏とは、自分が擬態することだった。すぐに仕事がわかるのは育ちが故か。なる必要がある・重くて速い鉄の塊に、うっすら香る焚き火の匂いに。雨がピシピシ樋にあたる場所に、つかれてかえった毛布のぼーっとした温度に、何でもなれる。一方で、一昨日行ったルーレットのセッションでは、わたしがまるごとわたしだということをひたすら実感した。ジャズは。ジャズの前では、わたしは何にもなれず、ひとの形の裸ではいつくばる。内臓からでたものを何もかざらずそのまま置いとくような逃げ場のなさ。ふしもかたちも、擬態や変身とはまったく程遠い音楽だった。
自分のこと頭の悪い人だと思う。楽器も上手じゃないや。赦してもらえる場所によく座ってる。あらゆる信仰のなかでキリスト教が人間の物語だいちばん身近だったと喋った祖母に心底会いたい。母校は聖堂が隣にあってすごくよかったな。自分に合ってた。積もる積もる、積もらせる、辞められないまま、それで何年経ったんだろう。感じたこと感じたようにして
そういうのがすこしだけ大丈夫になるのは春
春が