20230619

久しぶりの丸一日休日

普段アメリカに住む管理人さんの姉家族が帰ってきていて、お部屋が向かいなので、いろいろな声や音のする朝。

ここのところずっと仕事以外も外にいることが多く、帰ってきたら休めるに徹していたためかなり部屋がぐちゃぐちゃだったし洗濯物も溜まっている。せっかくなので簡単にそうじして洗濯機は二回まわす。部屋がかたづくとうれしく、冷凍保存していたカレーとチャイを入れのんびり昼食。

春、春日交響楽団という市民オケに入団したのだが、この夏から、来年の定期演奏会のメインプログラムであるブルックナーの交響曲第7番への取り組みが始まる。

偶然だが、ブルックナーは、最近個人的に惹かれていたところだった。どのポジションを担当するかはまだ分からないが、自分なりに勉強したいなと思う。今日は、音源を聴きながら総譜(スコア)を読みつつ、弦や感の旋律をホルンでいろいろとってみる練習。(それにしても、すごい大曲だ!)

これまでぼんやり強奏部や印象的なふししか聴いていなかった楽曲が、スコアを読みながら聴いていると解像度が一気にあがる。ブルックナーの音楽には、視覚的な感覚を抱くと同時に、宗教(典礼音楽)の印象を時折感じる。「いまの節と似たものを歌ったことあるなあ」とほとんど直感的に分かるのは、自分の母校がカトリックの大学で、必修科目に典礼のための音楽を扱う講義がいくつもあったからだと思う。大人になって、クラッシックの演奏の仕事から完全に離れた今も、こうしてあそびながら勉強したり味わったりできる。下地が自分にあることが、素直に嬉しい。

閑話休題

この頃、村上龍の『半島を出よ』という小説を読んでいる。新書や専門書を読む際は、おそいし乱読だが、一方小説を読むときは一気にごりごりと進めていく。村上龍は「あったかもしれないもしもの世界」を描くのが抜群にうまい作家だと思う。もちろん小説なのでフィクションだが、身に覚えがあり起こりうると感じるその生々しさに、必要最低限に削ぎ落とされた情緒に、とっぷりのめり込んで汗をかくほど熱中してしまう。映画を観ているみたいだ。本を閉じると放心状態になる。

このごろ読書に集中したいときは、近所にあるモスバーガーで過ごすことが増えた。閉店が近く、きりのよいところで終わって、春日市方面に自転車を漕ぎだす。頁から浮き上がった「あったかもしれないもしもの世界」が、夜風の日常に溶けていく。半島のことを思うと、真っ先に身近なものとして思い浮かぶのは、日記の『みはらし』というタイトルだ。このもとの文章を書いたのは2020年の1月のことだった。書いてからもう3年半が経つけれど、いまの自分の関心の向かいどころと、昔から内在する「我慢の効かなさ」を結びつける、一番ヒントになりうる日記だと思う。一瞬一瞬ではあまりに分かりづらい自分に、手引きとしての日記があるのっていいなと思う。