人並みにできないことがたくさんあるということを踏まえ、
図が得意だ。
聞き取りで材料を集めて、物事をおおまかにざっくり掴んだら、手書きで図を書いてしまう。地図や間取りの場合もあるし、時間軸や樹形図のときもある。それで、持ち寄った情報を、記号や数字や線など使いながら書き足す。頭の中にあるものが形になると、ほっとする。空中で分からなかった齟齬が解消されたりもする。
図が得意だと思う。図を作っている時間が楽しい。絵を書くのが右脳で、文章を書くのは左脳だと言ったひとがいたが、図はどっちなんだろう。なんでこんなこと急に書いているかというと、今日(昨日かな)ちょっとがんばった見取り図を作ったからだ。おおまかな図をふたつ、図面と写真とを組み合わせた。たいしたものではなかったが、画面上でパワーポイントのソフトを使って、正確さより目分量でざくざくと図を作っていると、気持ち良くて時間がじゅわじゅわ溶けて、あらーこれずっとできるーと感じた。
原始的なつくり
ひとまずあまり我慢をせず、素直でいること。気張って圧をかける活動が必要な場合もあるけれど、ほっとするほうにニュートラルを寄せていると、持久走向きな身体ができてくる気がする。でも、そんな身体を狙わなくても、ほっとして楽しんでいたいなと思う
閑話休題。お友達からクリスマス市へ出店のお誘いをいただいた。仕事がかなり忙しいので難しいかと思っていたが、ふと前向きに考え始めている。関係なさそうだけれど、図をビャーッとつくったことからピタゴラスイッチのように流れ着いたんじゃないだろうか。新しくいろいろ作るのはやっぱり時間的に厳しいので、基本ありもので考える形となるだろう。昨年に比べれば少ないが、今年もたくさん絵を描いた。時間と予算、設置場所の都合が合えば、木正舎さんの額をまた依頼してもいいなあとか、昨年やりとりした際の図面を再度みながら思い浮かべている。
関係なさそうなことや、一見むだっぽいモーションが、思いもよらないところで、次への軸足・発想の種・源流をこじあけるテコの原理的な石・になったりすることもあるみたい
すぐにしなくていいんで気になったら置いといて、いつでもスッと動ける軽やかでありたいものだ