20211211

ぎっくり腰のことを考えて

大学3年生のときかかったぎっくり腰があまりに印象的で、そのことについて只今ぞろぞろ言葉を紡いでいたのだが、あんまりに暗く長く私自身含め誰も嬉しくない文章になったのでびゃっと消す。これが手書きでないよさだなと冷えたコーヒー啜る。

現在仕事と夕飯を済ませたわたくしのとなりには空の五線譜とホルンがまどろんでいる。きのうから首と肩に違和感があって、気配をたぐると「ぴき」とのこと。ぎっくり腰を連想させるので、日記の題材に選ぼうとした。元々わたくしの日記は決して明るくないけれど、思い出話をこんこんざあざあ綴るときの薄暗い没頭はちょっと異様だ。書き溜まったものを見て、わーこれはいやだなあ・やめだやめと頓挫、餅時間。

さて、わたくしの名前には魔除けの要素が含まれている。由来を尋ねた際に、効用にあやかって神社で配る植物の名なのだと説明してもらった。その話が印象的でサイトのアドレスにも入れたのだが、なんだか魔除けのお守りとは防衛仕草であり、ちょっと呪術的、平たく言えば呪いのようでもある。守るつもりが我が身も焼く毒ともなりうることについて、「呪いの発動は表側にこない方が望ましい」そういった心理もあっての『ねじれの日』なのか、まさか。

ともかく日記が当サイト『ねじれの日』での更新となり、SNSの頃よりも少し深くお腹の中のことを喋るような温度になったのは確か。自分の「過去」に大きく深く刺さる呪いのことも、ぐっと開いて調べてみたいチューニングなのかもしれん。しかし、螺旋状は片面がくるりと裏返ることなしに紡げない。この頓挫だって選択であり表現なのだ。過去と向き合って形にする、崩す、変換する、そんなこんなを日常のなかに編む機会がここにある

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偶然か、タイミングの妙か
かつて世話になったひとの印象に
小さくおだやかな、しかしはっきり変化のあった昨晩

告知にたれさがるのはしっぽのような、
何気ないささやかなやりとり
長かったなあ。めるしー・せんせい