20211220

久しぶりのわが自宅「マドロミ荘」にて

同居人たちとゆく春に向けておしゃべりしている。みなそれぞれに決まったこと決まりそうなこと決めないことなど打ち明け計算式を空中に編みながら、でも結局のところなってみんとわからんねとか口にしています。ぼうぼうと風が吹いて人生のほっぺたにどんどんあたる。すずしいひりとした味わい。これも共同生活の醍醐味のひとつだ。

さて、小旅行から帰宅した際めにうつった郵便受けに一通の茶封筒が刺さっているのが、やけに心当たりあるな〜と思った玄関先。宛先に「マドロミ荘」とある。このあそびの住所で便りを送ってくるひとはただひとりしかいない。あるがまま舎の主・ヨシオカさんである。そう、先日寄稿した「あるがまま舎通信」が紙媒体になって家に届いたのだ。

同居人にただいまを言ったあと、封を開けて紙面で読んでみる。案外まとまっていていい感じだと純粋におもった。提出から半月ほど置いてからの再読なことも作用しているかもしれない。文面は自分と音楽のことについて、歩みをまとめた短めの文章。不確かながらも慎重に言葉を選び、希望の持てる印象に落とすことをすごく大事にした。あるがまま舎通信は某SNSサイトにも紹介ページがある。せっかくなので、短い紹介文をつけてシェアすることに。

しばらくするとまちまち反応がある。大事なひとたちが読んでくださっているようで、うれしい。広島からここへきた折のもちもの、自分の歪みにお返事をしなくてはとずっとずっと思いながら過ごしていたわたくし。この冬になって、それらのアンサーを発見する体験をたくさんしている。自分が発したものや、他者から受け取ることから、もう大丈夫、という声がするのだ

そんなわけで冒頭のマドロミ荘・半熟作戦会議に至る
わたしたちの遠心力はそれぞれになかなか粋です。