20220709

走り書き

聴き方、聴こえ方、届き方の話
音楽家としての耳について。同時進行で鳴る振動が一見(一聞?)ぐちゃっと、しているようでも、分離して届くという特徴を持つんだそうだ。声の小さくても届くこと。黙らせて挙手させなくても大丈夫だということ

体験後の話。
普段をしるひと、ギャップの反応からネガとポジが反転するような追体験をした。
これはわたくしたちひとりでには知り得ないことだと、しかもこれまでに類似体験があったとの話も伺い、紐解いた。

この反転より連想するのは、
統制のこと、抑圧のこと、自然さを奪うことなど。はたして、音楽家的な耳を持てない場合、統率や圧でしか小さな声を手繰れないのだろうか。

目の前の音楽家への畏敬の念を心に宿しながら、
理解ができなくても、想像力がわたしたち凡人を助けてくれるような気もしていて
「黙る」という行為が抑圧でなく、耳を開いていくような前向きの仕草・体験だといいなとひとり感じた。

明日も楽しみ