岡山市民会館が今月末を以て閉館する。岡山市民会館は、ホルンと出会った中学高校時代を岡山で過ごした自分にとって、ステージに立つということの原体験そのもののような会館だ。日曜高松市に行く予定があり、せっかくなのでその前日の今日すこし足をのばして訪ねにいくことにする。
瀬戸大橋を渡るとき、穏やかな海と船の道の多さを目にして、この海域が育んだ、いや今もなお育み続けている文化の規模を思ってちょっと泣いてしまう。
岡山市民会館は催物が入っていて外観のみの見学
事務所を訪ねると、会館への愛情あふれるスタッフYさんと出会う。急にも関わらず丁寧に対応いただき、中学高校時代お世話になった事や、今も音楽をしていて文化施設で働いている事などをお話することができた。遠方からなのでせめて外観だけでもと、少しだけツアーしていただいた。
古いいわれのある街の真ん中、狭い土地に工夫を凝らし建てられた岡山市民会館。子どもだった頃は、せいぜいステージと舞台裏、楽屋とロビーのなんとなくの間取りしか見えてなかったけれど、仕事場としてホールに関わるようになったため格段に会館をみる眼のレイヤーが増えているのを感じそれもおもしろく。聴けば聴くほど手間がかかって遊び心に満ちた建築の技法と、たくさんの人たちに愛され続けたことが窺い知れる。なくなるのはとてもさびしいけれど、ここでたくさんいい体験をさせてもらえたのは宝物だ!と気持ちを確かにすることができた。岡山にいる方や近郊の方は、ぜひ足を運んでみてください!
長旅にめまいをさせながら奉還町をぶらぶらし、疲れてもいたので早めに実家に向かう。わたしは比較的地図に強く、新しい土地もよほど山道ぐるぐる系とかでなければ頭の中に地図を思い浮かべて東西南北なんとなし方角がわかる方だけど、それができないのが唯一岡山だけ。なぜなら子どものころ地図を見る事なく道でぜんぶ覚えているからである。走っているところと地図を脳内でリンクすることがぜんぜんできない。子どもの頃の敏感肌な目で見た情景が強すぎるからなのか、不思議なものだ。楽譜でなく口伝えでおぼえた歌のような、これもひとつのネイティブかもしれない。ただ、住んだら不便だろうなとは思う。
こんばんは、お母さんの手作りコロッケの夜だった
家族と過ごすのも、いいなあ
2階で花男を読んでぐうたらする
帰りたくなくなって、それも珍しいのでおもしろい。