音散歩スケッチという案を挙げる
あげた事で、何が起こったら楽しそうか、実現させる際に無理のない形態は一体どんなものか考え過ごしている。
昨日、舞鶴公園にてダンサーの山本泰輔さん主催の開かれたあそび場に、音を持って参加させていただいた。ひとくちに即興といえど、ダンスと音では、活動の枝葉のつき方のび方が違うなと感じながらも、いろいろと参考になってありがたかった。参加にあたり、ホルンの他、ちいさな鳴り物を幾つか持ってうかがった。高村木材さんのピヨピヨ、木魚、木製のカエルちゃんカスタネット。二歳のお子がいて、カスタネットと木魚をかなり器用に組み合わせで鳴らしてて、それにホルンや声などで返答をする形で音の活動を展開させた。いろんな人が触ることのできる鳴り物があると、場がわんと広がってとてもよい。これにやわらかい金属の音などが加わっても楽しそう。
さて、普段から表現が身近な側・そうでない側がざっくりあるとして、互いがアレルギーのようになったら勿体無いなとゆるく結んだ目的地に対して思う。わたしの説明を聴き「それは、水路をつくらなきゃね」と言ったのは先日の元同居人だった。キーワードはやはり「普段使い」だと思う。毎日の行い。会話はきっとするだろう。また、身近な物に手が触れるときに意図せずとも音が出ているでしょう。あとはあるものをそこにあると伝えることで意識に光を当てるようなことをしたり、様子をみて少しだけ鳴り物で意図した音を置く活動をすると、そこまで無理がないのかなあと思ったりもする。
鳴り物の良いところはかばんにそっと仕舞えるところだ。昼休みには、職場に隣接した大谷公園でごはんを食べたあとに少し音を出しためしあそんでみる。鳥たちはわたしを不気味がって逃げる、それを笑って追う、散歩人は何事かとこちらをみる。そのままの足で会館に入ってみる。天井の高いエントランス。ベンチでくつろぐひとたち。意外と建物のなかで鳴らしても音の出し方次第でみんな気づかないものだ。カスタネットを一定のリズムでやわらかく鳴らしバレないように歩き回るのが楽しい。改めて、いかに音って環境の部位とか擬態の要素がつよく、これは通り過ぎる葉っぱや木々と同じくらいのものであるか
わたしたちの感覚に溶けこんでいる!と感じていた
音の、音の活動の、誰も知らない当たり前がそこにある
わたしはそれに、そっとタッチしてみたい